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カテゴリ「ワルシャワ」のブログ
ワルシャワ市街には、数多くの特筆すべき建造物がたくさんあります。
また、ノーベル物理学賞や化学賞を受賞したキュリー夫人の生家や・・・
ショパンの心臓が埋葬され音楽家の参拝者が絶えないという聖十字架教会など書いたらきりがないほどです。
でもここではせっかくなので、ガイドブックには載っていない私が気になった建物や看板をご紹介します。
まずはこちら。中央駅前から大通りを歩いて、一本小道に入ったところで見つけました。
コンクリートの壁がむき出しになっていて、塗装も剥がれ落ちているアパートメントです。でもそのすぐ向かいの通りには近代的なビル群が建ち並び、不思議な融合を見せていました。
ちなみにこちら ↑ のビルは、今回ワルシャワで泊まったウェスティンホテルです。この建物、どこかで見たことがあるような・・・?!と思っていたら、プラハのダンシング・ビルを思い出しました。ちょっとだけ似てる?(笑)
(写真は、『プラハの旅☆観光編』 2009年12月30日ブログ記事から転載)
外資系の高層ビルホテルがあちこちに連立し、ユニークなデザインが目を引きます。
こちらは ↑ インターコンチネンタルホテルです。ここだけ見ると新宿みたいにも見えますよね?!
ワルシャワ旧市街では、店看板のデザインにも心惹かれました。スープ屋さんとか・・・
革製品のお店とか。
ついつい上ばかり見ながら歩いてしまいますが、石畳なのですぐに躓いて大変でした。
そして、ワルシャワ市内で一際目立つ荘厳な建物がこれ!『文化科学宮殿』。
この塔の高さは234m。37階の高層ビルで、スターリンからの贈り物だそうです。ワルシャワ市民からは嫌われていて、『ソビエトの建てたワルシャワの墓石』などと呼ぶ人もいる、いわくつきの建造物。確かに言われてみれば?、ワルシャワの街にはどうにもしっくりこない雰囲気。やたらに威圧感がある塔は、街から疎外されているのを分かっているかのように、ふんぞり返っていました(笑)
最後に、市内で見つけた大きな壁のペイント。
よく見てみると・・・この兵隊は上からのマリオネット(操り人形)になっているのが分かります。兵隊の腕章にはアメリカドル$のマークが、そしてヘルメットにはユーロ€のマークが描かれています。実にシュールな風刺画でした・・・。
ポーランドからベルリンに戻ってきました。ポーランドは未だ夏真っ盛り!!!という暑さだったのに、隣国であるはずのドイツ・ベルリンはすっかり秋の陽気になってきました。もう半袖では少し寒いくらいです。
では、早速この旅をゆっくり振り返っていきます。まずは、ポーランドの首都、ワルシャワから。
第二次世界大戦でワルシャワ市民はナチス・ドイツ軍を相手に2ヶ月間の死闘を続け、その抵抗に驚いたドイツ軍は火炎放射器でワルシャワ市内の建物を片っ端から焼き払ったそうです。その結果、20万人の犠牲者を出し、8割以上の市街が灰になったといいます。
そんな焼け野原になったはずの旧市街と新市街周辺はワルシャワ市民の手によって見事に復元されています。過去の資料や生き残った住民の記憶を頼りに、『壁のヒビ一本まで忠実に』再現。1953年、ふたたび息を吹きかえしたワルシャワの景観には、ただただ驚かされました。
プラハやブダペストなど東欧の美しい古都の街並みを数々見てきましたが、私はこのワルシャワがとりわけ好きになりました。実際には第二次世界大戦後の復興期に再建して出来た街並みではあるけれども、辛く悲しい過酷な歴史に決して負けない不屈の精神をめいいっぱい感じるからです。
非情にも破壊され、どんなに壊滅的な状態であろうとも、元に戻そうとした、そして実際に完璧に近いほど元に戻したワルシャワ市民の町への愛情、情熱、想いがここには流れています。それをヒシヒシと感じます。
そんな市民の努力によって従来の街並みが忠実に復元されたワルシャワ歴史地区は1980年にユネスコ世界遺産にも指定されています。
旧市街の北側にあるのが、このバルバカンという15~16世紀頃に造られたバロック様式の砦です。この砦も第2次世界大戦で破壊されていますが旧市街と同様に1954年に復元されています。
ワルシャワ市街を歩いていて最も心打たれたのは、『ワルシャワ蜂起記念碑』を前にした時。バルバカンから少し歩いたところにありました。
『ワルシャワ蜂起』・・・冒頭にも書きましたが、1944年8月1日、ドイツ軍に対してワルシャワ市民が一斉に蜂起しました。最終的には20万人の死者を出し市街のほとんどを破壊され、10月2日に降伏したのです。
ワルシャワ蜂起45周年を記念して、1989年8月にこの碑が建てられたそうです。
どの像も一体一体の表情は、深い悲しみに満ちていて、儚く、市民の苦しさを体現しているようでした。
終戦記念日を前に、今日から3泊4日で、ポーランドを旅します。
ワルシャワ、クラクフ、そしてアウシュヴィッツ強制収容所を見てこようと思います。
ポーランドはベルリンのすぐ隣なのに、やはりある種の覚悟と決意がないとどうしても訪れる事が出来ない国です。これまでナチス・ドイツに関わる沢山の映画を観てきました。そして私なりに勉強もしてきました。
数百万人の命がいとも簡単に奪われ殺人工場と化した場所、アウシュヴィッツ収容所。目を背けたいけれど、歴史は変えられない・・・人類が犯した過ちとして、永遠に記憶に留めなければならないこと。
だから、この旅で、改めて歴史と対峙してきます。
2010年8月9日
土屋晴乃
P.S
ポーランドの首都ワルシャワまで、ベルリンから列車で5時間40分ほど。
移動時間に、列車の中で土曜日にお会いした方々のお話を書きたいと思います☆