ブログ
ポーランドの旅5-アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所(1)-
見学の前日に、クラクフ旧市街の旅行代理店へ行き英語ガイドツアーに申し込みました。当日の旅程は、クラクフ中心地で朝9時にピックアップされ、夕方4時頃、またクラクフ市内へ送迎してくれるというもの。
内容は、アウシュヴィッツとビルケナウの2つの強制収容所を巡り、現地ガイドが収容所を案内し、背景を説明してくれます。
収容所は入場料無料ですが、もし見学される方は、ガイドツアーに参加することをオススメします。英語ガイドだけでなく、日本語ガイドツアーもあるそうです。ただ見ているだけでは分からない多くのことを、ガイドさんは教えてくださいます。それらの説明はこのアウシュヴィッツやビルケナウを知る上でとても重要なものだと思いました。
ここに携わるガイドさんは皆、難関と言われる試験を突破されている方々だそうです。彼らは歴史の伝達者であり、史実が隠蔽されることなく、訪れる人々の記憶の中に永遠に留めて欲しいと願っているのを目の当たりにしました。
収容所内で今でも目に焼きついて離れない、いくつかの棟について、ここではお話します。ほとんどの場所で写真撮影は許可されていますが、私は棟内部でカメラのシャッターを押すことが出来ませんでした。でも写真よりも遥かに鮮明に、私の記憶に映像として残っています。
棟内の写真は1枚しかないので、私の文章だけで、その痛ましい様子が伝わるのか分かりませんが、自分の記録のためにここに書き記しておこうと思います。
■アウシュヴィッツに連行された合計人数は、約130万人 (内ユダヤ人 約110万人)
■アウシュヴィッツに登録された合計人数は、約40万人 (内ユダヤ人 約20万人)
■アウシュヴィッツで殺害された合計人数は、約110万人 (内ユダヤ人 100万人)
(全て推定人数です。情報源: フランチシェック・ピペル)
↑ これは何を意味するかというと・・・登録もされずに、収容所に到着して即刻ガス室送りになった人々が約90万人もいるということ。これがヨーロッパにおけるユダヤ人絶滅センターの実態なのです。ユダヤ人は、性別・年齢・職業・国籍・政治的思想を問わず、『ユダヤ人である』という理由だけで殺害されました。新しく連行されてきたユダヤ人の大半がSS医師の選別で労働に適さないと判断され、ガス室で毒殺されたのです。
老人、病人、妊婦、子供には生き残る権利が与えられなかったのです。つまり収容所の囚人登録番号も付けられずにこの世を去っていったのです。
4号棟の『他民族絶滅計画』という名のついたバラック内には、囚人たちから切り取られた大量の髪の毛が部屋の片面全てに積み上げられて展示されていました。その量はおよそ2トンにも上るそうです。この部屋に入った瞬間、涙があふれ出しました。・・・・・・と同時に鳥肌が立ち、寒気、恐怖を感じて、目の前に山積みにされた髪の毛を直視できなかったのを覚えています。この大量の人間の髪の毛は、カーペットを編むために集められたという説明に、どうして同じ人間がこんなにも惨たらしいことが出来るのか・・・・・・、やり場のない気持ちを必死に抑えながら、ガイドの説明に耳を傾けました。
これがバラック内で唯一撮影した、チクロンガスBという劇薬の入っていた缶の山です。ガス室での大量殺人に使われた空き缶がこんなにも積み上げられるほどあったのです。一説によると、1缶で約400人の尊い命を奪うことが出来るそうです。
そして5号棟『ナチスの犯した犯罪の証拠』というバラック内には、ナチスが連行した人々のあらゆる遺品の数々が展示されています。
・8万足以上の靴
・3800個のトランク、(内2100個には文字が書かれています。)
・12000個の鍋
・約40kgの眼鏡
・460本の義手と義足
・570着の縞模様の囚人服
・260着の洋服
・260のタウェス(ユダヤ人が祈るときに肩にかける特別な布)
そのほか、6000点の美術品(内2000点は囚人たちが収容所内で創ったもの)など、保管されています。
これら一つ一つの展示物が、本や映画ではけっして分からなかった現実という重みを示していました。
そしてアウシュヴィッツのガイドコースの最後に、ガス室へ足を踏み入れました。そこはアウシュヴィッツ1号の第1死体焼却場のガス室跡でした。窓1つない分厚いコンクリートの壁に覆われた息苦しいその部屋の天井を見上げると、小さな穴の開いている場所があるのです。そこからガスが投入されたそうです・・・。
この場所が今このように開放され、強制収容所展として存在していることに意義を唱える人も少なくないといいます。『博物館』としての保存か、歴史を語る場として物件は完全に無くし、墓地として『記憶の場』とするか・・・という2つの論争です。
このガス室に入ったとき、私は果たしてここを訪れることが正しかったのかどうか分からなくなりました。当時のままの姿を留めている建物を前に、この2つの論争のどちらが正しいことなのか分からないのです・・・・・・。